【オーストリアで玉の輿】身分ちがいの結婚はみじめで失敗?歴史的悲惨な末路とは

ここでは、オーストリアで玉の輿にのったゾフィー・ホテクのストーリーを紹介します。

ゾフィー・ホテクは、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナンド大公の夫人となった女性です。

参考文献



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目次

ゾフィー・ホテクの玉の輿エピソード

ゾフィー・ホテクの生い立ち

ゾフィー・ホテクは、オーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・ヨーゼフ皇帝の次の皇位継承者フランツ・フェルディナンド大公の夫人となったです。

1868年3月にヴィッテンベルク王国のシュトゥットガルトで生まれました。

ゾフィー・マリア・ヨセフィヌ・アルビナ・グレフィンという名で、父外交官ボフスラフ・ホテク伯爵、母ヴィルヘルミネ・キンスキーの4女です。

ゾフィーは若くしてハプスブルグ家のテシェン大公妃の女官として仕えていました。

舞台となった時代背景

フランツ・フェルディナンド大公は、フランツ・ヨーゼフ1世の3番目の弟のカール・ルードヴィッヒ大公の長男です。

本来ならば、フランツ・ヨーゼフ皇帝のひとり息子のルドルフ皇太子が後継ぎなのですが、マイヤーリンク事件で31歳で亡くなってしまいました。

マイヤーリンク事件

ルドルフ皇太子と女が謎の死を遂げた事件。
病死、心中、暗殺の疑惑もあり、いまだに謎の事件とされています。

そしてルドルフ皇太子にはエリザベート大公女という娘が一人いたのですが、フランツ・ヨーゼフ皇帝は孫娘を女帝にする気はなかったようです。

また、フランツ・ヨーゼフ皇帝のすぐ下の弟のマクシミリアン大公はメキシコ皇帝となったのち革命で謀殺され、3男のカール・ルードヴィッヒ大公も亡くなったので、その長男のフランツ・フェルディナンド大公が後継ぎとされました。

フランツ・フェルディナンド大公は、成人後、軍隊に入り1892年に世界周遊の旅に出て明治期の日本にも立ち寄り、色々な地方を訪れて旅行記を書いています。

しかし、1895年に結核を患ったことから皇位継承を辞退したこともあり(結核は治ったので撤回)、あまり期待されていない地味な存在だったようです。

ゾフィー・ホテクが玉の輿に乗るきっかけとなったできごと

まさかの女官めあてのフランツ・フェルディナンド大公

ゾフィーはハプスブルグ家のテシェン大公妃の女官でした。

フランツ・フェルディナンド大公がいつどこで最初にゾフィーと出会ったかは不明です。

フランツ・フェルディナンド大公が1896年頃には足しげくテシェン大公の別荘を訪問していたので、テシェン大公のイザベラ大公妃は「自分の娘が気に入られたのか」と胸をときめかせていました。

ある日、フランツ・フェルディナンド大公が蓋つきの時計を忘れていきました。

イザベラ大公妃が中を開けてみると女性の写真が入っていましたが、それはなんと女官のゾフィーであったことで、怒りと驚きでゾフィーを解雇しフランツ・ヨーゼフ皇帝に言いつけたのです。

フランツ・フェルディナンド大公は絶対譲らなかった

ゾフィーはハプスブルグ家の先祖に縁のある古い伯爵家の出身ですが、オーストリア・ハンガリー帝国の未来の皇帝と結婚できる家柄ではないため、「チェコ人の女官なんて」とフランツ・ヨーゼフ皇帝はもちろん大反対でした。

でも、フランツ・フェルディナンド大公は「「皇位」か「ゾフィー」かどちらかをとれ」と言われて、両方と答えたそうです。

フランツ・フェルディナンド大公は当時31歳でしたが、どうしてもゾフィーと結婚すると粘りに粘り、ついに1899年にはフランツ・ヨーゼフ皇帝も折れて結婚を許しました。

結婚は認められたものの貴賤結婚としてでした。

ゾフィーは大公妃にはなれず、むろんのこと皇后にもなれないと決められました。

ゾフィーはホーヘンベルク伯爵夫人の地位は与えられたが、生まれてくる子供たちにもオーストリア皇帝の継承権はないという条件付きでした。

ふたりは1900年にボヘミアのライヒシュタット(現チェコ)で結婚式を挙げましたが、フランツ・ヨーゼフ皇帝もフランツ・フェルディナンド大公の弟たちすら出席せず、ハプスブルグ家からは、フランツ・フェルディナンド大公の継母マリア・テレジア大公妃とその娘たちであるフランツ・フェルディナンド大公の異母妹しか出席しなかったのです。

書籍には「美しくも若くもないゾフィー」という表現がされていますが、今に残る写真を見ると、少し冷たいが知的な落ち着いた印象の上品で美しい女性にみえます。

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フランツ・フェルディナンド大公は、皇位継承者の第一位であったので、フランツ・ヨーゼフ皇帝とは別のハプスブルグ家が持つ宮殿のうちのひとつであるベルヴェデーレ宮殿に住んでいました。

また別荘として、アルトシュテッテン城も持っていました。

玉の輿のその後

ゾフィーは宮廷生活で虐げられ続けた

欧米ではパーティーや公式の場ではカップルで出席するものですが、フランツ・フェルディナンド大公とゾフィーは結婚後も決して同席させてもらえませんでした。

公式行事などでも、フランツ・フェルディナンド大公はフランツ・ヨーゼフ皇帝の次席ですが、ゾフィーはハプスブルグ家の30人いる女性皇族たちの最後尾にされたのです。

公式行事ではよちよち歩きの皇族の赤ちゃんですら、ゾフィーの上席と決まっていました。
劇場などでも皇族の専用席に座ることは許されませんでした。

このような蔑まされたみじめな生活を続けるとだんだん気持ちもすさんでくるようで、ゾフィーは14年後にはすっかり鬱っぽくひがみっぽい性格になったということです。

外国訪問ではカップル扱いされるのが仇になった悲劇

オーストリア国内ではカップルとして行動させてもらえなかったのですが、外国訪問では当然のごとくオーストリアの皇位継承者ご夫妻として待遇されました。

イギリス訪問では、ジョージ5世とメアリ王妃に歓待され、フランツ・フェルディナンド大公がドイツひいきであるせいで、ドイツのヴィルヘルム二世にも夫妻は好待遇を受けたということです。

運命のサラエボ訪問も、もともと危ないと言われていた地域で、訪問を危険視する声も多かったのです。

しかし、ちょうどフランツ・フェルディナンド大公とゾフィーとの結婚記念日にあたり、カップルとして待遇するといわれたこともあって、フランツ・フェルディナンド大公は反対を押し切って訪問を決めたのでした。

玉の輿でもなんでもそうですが、愛し合う二人が周囲の了解を得られず家族の反対を押し切っての結婚は「ふたりの絆を一層強めて愛が深まるタイプ」と「あまりの逆風と境遇の変化などに負けてすっかり愛が冷めてすぐ別れてしまうタイプ」があると思います。

ゾフィーとフランツ・フェルディナンド大公は、前者の「ふたりの絆を一層強めて愛が深まるタイプ」であったようです。

フランツ・フェルディナンド大公とゾフィーが普通に幸せなご夫妻として過ごしていれば、「危ないから行くな」と誰からも警告されているのに、無理をしてサラエボを訪問したりしなかったのではないかと思うのです。

フランツ・フェルディナンド大公とゾフィーの仲はとても円満で理想のカップルと言われたそうですが、そういう仲だからこそ、愛するゾフィーが宮中で虐げられていることにフランツ・フェルディナンド大公は我慢できなかったのでしょう。

また、せっかくの結婚記念日だから、ゾフィーのためにハプスブルグ家の皇位継承者夫妻として過ごしたいと無理をし、意地になってもどうしてもサラエボ訪問したいと強行したのではと思うのです。

フランツ・フェルディナンド大公は、最期に「ゾフィー、ゾフィー、死んではいけない、子供たちのために生きなければ」と息絶えるゾフィーに言い続けて亡くなったそうです。

フランツ・フェルディナンド大公51歳、ゾフィーは46歳でした。

この夫妻は、まるで戦争のきっかけになる暗殺のために存在したような、不思議な歴史のわざのように思えてなりません。

死してもなお蔑まされ第一次大戦勃発のきっかけとなる悲惨な末路

フランツ・フェルディナンド大公とゾフィーはご存じのごとく、サラエボで暗殺されてしまいました。

一度目は車に投げつけられた爆弾がそれて無事だったのですが、急遽爆弾で負傷した人のお見舞いへ行くと予定を変更したのに、車のコースを運転手が変更せず、待ち受けていたテロリストに狙撃されたのでした。

フランツ・フェルディナンド大公は、有名な伝記作家シュテファン・ツヴァイクの回想によれば、笑顔を見せず、冷たい容貌で民衆には人気がない後継者でした。

気の毒にもオーストリアでは、暗殺されたことでフランツ・フェルディナンド大公が次の皇帝ではなくなって、ほっとした雰囲気にさえなったということです。

フランツ・ヨーゼフ皇帝も知らせを聞いて、貴賤結婚の報いを受けたのだと独り言を言ったということで、なんだか悲しくなる反応でありました。

フランツ・ヨーゼフ皇帝はまた、孤児となったフランツ・フェルディナンド大公とゾフィーの幼い4人の子供たちに対してもまったく関心を寄せず一度宮廷に呼んだだけで、子供たちはそののち母方であるゾフィーの親戚が引き取って育てたということです。

しかし民衆の感情と歴史の流れは、ちょっとしたことでどう転ぶかわかりません。

それは、フランツ・フェルディナンド大公とゾフィーの葬儀で起こりました。

この葬儀を取り仕切ったのは、宮内大臣モンテヌオヴォ伯爵でした。

この人は、フランツ・フェルディナンド大公とゾフィーの結婚に大反対で、宮廷でのゾフィーへの扱いも徹底していて、それに抗議するフランツ・フェルディナンド大公とは敵対していたのですが、葬儀においてもゾフィーに対して後世に残るひどい扱いをしたのです。

モンテヌオヴォ伯爵は、フランツ・フェルディナンド大公の棺の一段下にゾフィーの棺を置いて、女官のしるしである白い手袋と扇を置いたのでした。

夫妻は亡くなった後も、同等に扱ってもらえなかったのです。

またハプスブルグ家の墓所はカプツィーナー納骨堂ですが、一緒に葬ってもらえないことを考えて、フランツ・フェルディナンド大公が、前もって居城のアルトシュテッテン城内の納骨堂に一緒に埋葬するよう遺言していたのです。

そしてフランツ・フェルディナンド大公と親しかったドイツのヴィルヘルム二世皇帝をはじめ、外国の王族らの葬儀への列席を断るようなことすらしました。

皇位継承者の葬儀でもゾフィーが貴人として扱われないようにするために、宮廷では何日も協議され、帝室議事録がこのことだけで埋め尽くされていたということです。

このような、暗殺されたハプスブルグ家の皇位継承者に対する敬意も何もない対応に、宮廷人からクレームが続出し、フランツ・フェルディナンド大公の甥で次の継承者であるカール大公が、フランツ・ヨーゼフ皇帝に抗議したのですが皇帝は一切知らなかったということです。

この悲しい葬儀での待遇が民衆にも伝わって、墓所へ向かう葬列はふくれあがりました。

そうして葬儀の扱いのひどさのせいで、生前は人気がなかったはずのフランツ・フェルディナンド大公とゾフィーの暗殺が、民衆からの同情を得て悲しみと怒りで盛り上がり、第一次世界大戦への勃発へと進んだのでした。

参考文献(Amazonリンク) フランツ・ヨーゼフ 江村洋著
黄昏のウィーン 須永朝彦著
チタ グリセール・ペカール著

玉の輿エピソードからわかった!お金持ちと結婚するときに気をつけるべきたったひとつのこと

身分違いが理由で断固反対する親族がいるなら結婚はやめておけ

ランツ・ヨーゼフ皇帝は、自分だって若い頃に母の反対を押し切ってエリザベートと結婚したというのに、甥の幸せを考えなかったのでしょうか?

実はフランツ・ヨーゼフ皇帝は「最後の王権神授説を唱える皇帝」とさえ言われた、前時代的な考え方の持ち主だったのです。

当時発明されて実用化されたばかりの電話も拒否、エレベーターにも絶対乗らなかったという方でした。

身分違いの恋愛結婚はハプスブルグ家の義務を果たしていないと考えたのかもしれず、時代錯誤の考え方が抜けなかったのだと思うしかないですね。

玉の輿の結婚で、もしも相手が大きなお店とか企業とかの後継ぎの男性ならば、創業者のおじいさまとかがフランツ・ヨーゼフ皇帝のような古い考えに固執する人であったり、ゾフィーを苛め抜いたモンテヌオヴォ伯爵のような番頭さんとかがいるかもしれません。

もしそういう、あまりにも頭の固い人がいて結婚を大反対していたとすれば、フランツ・フェルディナンド大公とゾフィーの悲劇を考えるまでもなく、さっさと逃げるが勝ちだと思います。

なぜなら、たとえお金持ちの男性と結婚できたとしても、毎日蔑まされて惨めな生活を送るのはとても辛いことですから。

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