玉の輿エピソード

【イギリス】極貧生活からの玉の輿。つかみとった富は貧しい人のために。慈愛に満ちた元娼婦ネルのストーリー

ネコ先生
ネコ先生
今回は、イギリスで玉の輿にのったネル・グウィンのストーリーについてご紹介していきます。

ネル・グウィンは、貧民街の生まれで舞台女優からイギリスのチャールズ2世の寵姫となった女性です。

この記事では、実際にあった玉の輿のエピソードから、どうやって玉の輿による結婚を成功させたのかというポイントやノウハウをご紹介していきます。

さっそく今日からできることを少しずつでも真似して実践していってください。

それではさっそくいってみましょう!

ネル・グウィンの玉の輿エピソード

玉の輿に乗ったネル・グウィンの生い立ち

ネル・グウィンは、イギリスのチャールズ2世の寵姫となった女性です。

本名はエレノア・グウィン、1650年にヘレフォードの貧民街で生まれました。

ネルの父はトマスといい王党派の大尉でしたが、借金が払えず負債者監獄に入れられて獄中死しました。

ネルの母は、同じエレノアという名で下層階級の出身でした。

ネルは、母と姉ローズと3人暮らしでした。

母エレノアはエール・ビールを売り、姉ローズとネルは11歳頃から劇場などでオレンジやレモンなどの果物売りをしていました。

姉の夫は追いはぎをしていたという話まである、極貧の生活でした。

やがてキングス・シアターという劇場の主のチャールズ・ハート(シェークスピアの甥の息子)や、劇作家ジョン・レイシーから、物覚えがよくウィットに富んでいるところを見込まれて、ネルは舞台女優としての手ほどきを受けるようになります。

ネルは1665年に15歳でジョン・ドライデンの劇「インドの皇帝」で初舞台を踏みました。

美貌で声も美しくてよく通り、機知に富んだネルの女優デビューは大成功しキングハウス劇場の劇団に入りました。

舞台となった時代背景

ネルの愛人チャールズ2世はチャールズ1世の次男(長男は夭死)で、母はフランスのアンリ4世の王女でルイ13世の妹であるヘンリエッタ・マリアです。

イギリスではピューリタン革命が起こり、チャールズも1646年から亡命していましたが、1658年のオリバー・クロムウェルの死後、1660年に王政復古してイギリス国王として即位しました。

そしてポルトガル王女のキャサリン・オブ・ブラガンザと結婚しましたが、何度も流産して子供ができずじまいでした。

そのぶん愛人との関係がお盛んで、9人もの愛人がいたのでした。

チャールズ2世は嫡出子はゼロだったのですが認知しただけでも庶子が14人いて、それぞれに貴族の爵位を与え、しかもそれぞれ資産のある結婚相手を見つけて結婚させるという面倒見の良い方でした。

陽気な王様(Merry Monarch)というあだ名が付けられていたほど多くの女性にモテることで有名でした。

ネル・グウィンが玉の輿に乗るきっかけとなったできごと

ネルは人気女優として舞台に立ち、チャールズ2世と出会います。

チャールズ2世が弟のヨーク公(後のジェームズ1世)と芝居見物に行くと、舞台にはネルが出てこなかったのですが、隣のボックス席のバッキンガム公爵に招かれてネルが来ていたのです。

バッキンガム公爵がネルを狙っていたのですが、チャールズ2世が食事に誘い4人で近くの居酒屋へ行きました。

チャールズ2世がネルを口説くあいだ、弟のヨーク公はバッキンガム公爵の相手をして、兄とネルの取り持ちをしていたそうです。

居酒屋の支払いの段になると、国王兄弟はお金を持っておらずバッキンガム公爵が支払うはめになり、そしてバッキンガム公爵は結局ネルまで国王に持って行かれてしまったということです。

ネルは父が王党派ということで、最初の愛人ハートのことを「チャールズ1世」、次の愛人サックヴィルを「チャールズ2世」と呼んでいたのですが、国王陛下とはいえ自分にとっては3番目のチャールズということで、冗談っぽく「チャールズ3世」と呼んでいたということです。

チャールズ2世はそういうジョークが大好きで、ネルとの会話や逢瀬を大いに喜んでいたそうです。

そしてチャールズ2世はネルを独占したいというか、女優を引退させたいと思っていたようですが、ネルは売りだしたばかりで舞台が面白かったんでしょう。

国王の愛人兼女優としてしばらく舞台も続けていました。

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バーフォード・ハウスを建ててもらう

1668年に2人が出会った後、2年ほど幸せな生活が続きましたが、ネルは1670年に最初の子であるチャールズを出産しました。

続いて次男のジェームズを出産し、女優は引退しました。

ネルは1675年には、ロンドン、ニューマーケット、ウィンザーに邸宅を持っていましたが、1679年、チャールズ2世はネルのためにウィンザー宮殿の敷地内にバーフォード・ハウスを建てさせました。

傷痍軍人のための病院をもっと大きくするよう進言した

1681年ネルは、チェルシーに傷痍軍人のための病院、ロイヤル・ホスピタルを、チャールズ2世にもっと大きくするように勧めて、自分の土地の一部を提供したと言われています。

そののち長い間、その病院の傷痍軍人たちは、乾杯するときには必ず「チャールズ2世とネルのために」と叫ぶ習慣となっていたそうです。

玉の輿のその後

自分に爵位は求めず、息子のためには爵位をもぎ取った

チャールズ2世はネルに屋敷を与え、お手当もきちんと与えていました。

でもネルの出自が低すぎることと、認知したものの本当に自分の息子かどうか疑いを持っていたので、ネルの子供たちに他の愛人たちの息子のように爵位を与えることをはばかっていたようでした。

ネルはチャールズ2世が屋敷に来たときに子供たちを呼び、「バスタード(私生児と言う意味)たち、あんたたちの父親に挨拶しな」と言うと、チャールズ2世が「子供たちを、そんなふうに呼ばないでくれ」と悲鳴を上げて、上の子のチャールズに爵位を授けたという話があります。

もうひとつは、ネルは息子の足首を持って逆さつりにして、「今すぐこの子に爵位を与えないと、落としちゃうよ」と言うと、チャールズ2世は頭を抱えて、「バーフォート伯爵の命は助けてやってくれ」と言ったという話があります。

さすがコメディー女優、どちらも芝居かかっているエピソードですよね。

「私はプロテスタントの方よ」の有名な話も

チャールズ2世には、ネルの他にフランス人貴族のルイ―ズ・ド・ケルアールという寵姫もいました。

このルイーズはルイ14世が遣わしたスパイという噂もあり、民衆にはカトリック教徒であることや取り澄ました人柄が嫌われていました。

あるとき、ネルの乗った馬車がルイ―ズの馬車と間違われ、オックスフォードで群集に取り囲まれて石を投げらました。

そのときネルは窓から顔を出して、「皆さん、石を投げないで、私は、プロテスタントの方の娼婦よ!」と言ったところ、群衆は毒気を抜かれてしまって、「ネル!ネル!」の大合唱が起こったほどだったそうです。

自分を「娼婦」というなんて、知っている語彙が少なかったせいか、国王の愛人である自分を卑下して言ったのか、単なるユーモアなのか、とにかくネル・グウィンといえばこのセリフ、というくらい有名なんですよね。

1685年チャールズ2世は死去する際に、弟のジェームズ1世に「どうか、かわいそうなネルを飢えさせないようにしてくれ」と、ネルへの年金の額を増やすように遺言しました。

ネルは自分の贅沢のためにお金を使うのではなく、貧しい人たちへの寄付を惜しみませんでした。

自分が貧しかった頃を忘れず、舞台女優時代の仲間が困っていれば援助を惜しまなかったので、いつも家計が苦しくお金が無かったそうです。

チャールズ2世はそのことをよく知っていたのですね。

チャールズ2世が亡くなるとネルは元気をなくし、3年後に亡くなりました。

ネルは息子に貧しい人々に寄付するように遺言し、葬儀にはありとあらゆる階層の人が集まったということです。

今でもネル・グウィンハウスという建物に名前が付けられるくらい人気がある国王の寵姫は、ネルくらいなものではないかと思います。

参考文献 英国の貴族 森護著 

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変化を恐れず新しい道を切り開く

誤解を恐れずに言えば、ネルが生きた時代は現代とは違い、女性の働く場が限られていた時代です。

ネルは貧民街で果物売りだけでなく売春もしていたと言われていますが、それが生活を送る唯一の方法であったのでしょう。

そして劇場に出入りするうちに、自分の才能を認めてくれる人に出会い愛人となったとはいえ、持ち前の才能を発揮してまず女優として成功し、そしてチャールズ2世とも出会ったのでした。

こういう何かのきっかけをためらわずに受け止めて、思い切って新しい道を切り開くのも玉の輿のみならず、人生の転機には必要なことだといえます。

変化を恐れて貧しい果物売りを続けていたら、チャールズ2世と出会うこともなかったでしょう。

お金持ちを退屈させない、楽しませる技術を持つ

ネルは無教養で、自分の名前の頭文字の「N」と「G」以外は知らない、字が読めず書けない人でした。

ですが、会話はウィットに富み、チャールズ2世を飽きさせない楽しい人であったようです。

鼻持ちならない寵姫ルイ―ズ・ド・ケルアールをからかったりする機転もあり、ユーモアのセンスもありました。

また、日記作者として有名なサミュエル・ピープスなど、女優時代からのネルのファンらを屋敷に招待してホステスとしてもてなしたりもできたし、俳優仲間をウィンザー宮殿へ呼んでチャールズ2世のために本の朗読をしてもらったりと、チャールズ2世を楽しませるアイデアをもっていたのでした。

教養がないからと言って、決して美しいだけで頭が空っぽな女性ではなかったといえるでしょう。