玉の輿エピソード

【イギリス】セカンドじゃ嫌だっただけなのに。玉の輿からの究極のモラハラ。離婚してくれた方がマシだった悲惨な結末とは

ネコ先生
ネコ先生
今回は、イギリスでいわゆる玉の輿にのったアン・ブーリンのストーリーについてご紹介していきます。

アン・ブーリンはヘンリー8世の2番目の王妃で、エリザベス1世の母として知られています。

夫となったヘンリー8世は法律を変えてでも結婚してくれたのに、アンは最後に究極のモラハラをうけてしまいます。

この記事では、実際にあった玉の輿のエピソードから、どうやって玉の輿による結婚を成功させたのかというポイントやノウハウをご紹介していきます。

さっそく今日からできることを少しずつでも真似して実践していってください。

それではさっそくいってみましょう!

アン・ブーリンの玉の輿エピソード

玉の輿に乗ったアン・ブーリンの生い立ち

ブーリン家は成り上がり貴族

アン・ブーリンはヘンリー8世の2番目の王妃で、エリザベス1世の母として知られています。

アンは父トーマス・ブーリン、母エリザベス・ハワードの娘として1501年頃(諸説があります)生まれました。

アンの母エリザベス・ハワードは、イギリスの有力貴族のノーフォーク公爵家の出身です。

父方のブーリン家は数代前までは平民でしたが、結婚や王族に娘を差し出すことによって財と身分を得てきた家といわれています。

アンの父トーマスはフランス駐在の外交官で、ヘンリー8世の妹メアリー王女がフランス国王ルイ12世と結婚したときに、アンは姉のメアリーと共に侍女としてフランスに渡りました。

そしてメアリー王女がルイ12世の死後イギリスへ帰ったあとも、アンとメアリー姉妹はフランスの宮廷でフランソワ1世の王妃クロードに仕えていました。

アンは黒髪でその頃の美の水準とはかけ離れていた

当時は金髪に白い肌が美人の条件だったのですが、アンは黒髪で色黒、首にあざがあり、おまけに手の指が6本あったという説まであり、同時代の人も「ヘンリー8世がアンのどこを気に入ったのかわからない」とぶっちゃけるほどでした。

しかし、若い頃からフランスの宮廷で過ごしたアンは、宮廷で男女間の駆け引きや、気のきいた会話なども学び、着こなしや考え方なども洗練された女性だったのかもしれません。

舞台となった時代背景

ヘンリー8世の最初の王妃キャサリンは、カスティラ女王イザベラとアラゴン王フェルディナンドの末娘でした。

キャサリンは最初にヘンリー8世の兄アーサー王太子と結婚したのですが、アーサー王太子がすぐに亡くなったため、ローマ教皇に願い出て結婚は無効としてヘンリー8世と結婚したのでした。

それもこれも、実はキャサリン王妃は莫大な持参金付きだったので、未亡人として国に帰る場合には持参金も返さなければならなくなります。

その持参金を返すのが嫌で、ヘンリー8世と結婚させたという王室の思惑もあったのです。

ヘンリー8世と結婚後もキャサリン王妃は何度も流産しメアリー王女一人しか育たなかったので、後継ぎの男子を欲しがるヘンリー8世としてはなんとかしたいと思っていたのでした。

ミサキ
ミサキ
いつの時代も跡継ぎ問題はたいへんだなぁ

アンが玉の輿に乗るきっかけとなったできごと

姉のメアリーもヘンリー8世の側室だった

姉のメアリーはアンと違い金髪で色の白い美人で、ヘンリー8世の2番目の側室となりました。

姉のメアリーには息子が生まれましたが、この子は認知もされず修道院に入れられて顧みられなかったうえに、メアリーもお下げ渡しのようにして貴族と結婚させられました。

メアリーはアンよりも美人だったというくらいであまり資料が残っていません。

メアリーはこの時代に目立たず寿命をまっとうできたので、世渡りがうまく賢い女性で幸せな人生を送ったのではと想像できます。

アンは縁談があったが、他の人との恋愛で成立せず

じつは、父トーマス・ブーリンの領地との関係で、オーモンド伯爵の相続争いがあり、アンとオーモンド伯爵の相続人ピアス・バトラーとの結婚話がもちあがっていました。

アンにとっては玉の輿と言われましたが、なかなか進展しないうちに、アンは宮廷で知り合った婚約者のあるノーザンバラント伯爵ヘンリー・パーシーと恋仲になり、それがばれてヘンリー8世の叱責を受け結婚話も立ち消えとなったのです。

これは当時としてはスキャンダルで、アンは一時的に宮廷を退き、田舎で謹慎していたということです。

しかしまた数か月後には、アンは宮廷に戻ってきたのですが、同年代の女性たちが結婚しているというのにひとり未婚で宙ぶらりんの状態であったのです。

詩人のトーマス・ワイアットとヘンリー8世に言い寄られる

アンが宮廷に戻って再びキャサリン王妃に仕えていたとき、アンに目を付けた詩人のトーマス・ワイアットがアンのために詩を作ったりして求愛していたところへ、ヘンリー8世がなぜか乱入してきたのです。

アンはヘンリー8世の目にとまり、迫られたのですが、本人が断固として正式に王妃にしないとベッドを共にしないと言い張ったといいます。

これがカトリック教徒だったイギリス国王と国民を、ローマ教皇から分離させるおおごとに発展してしまいました。

これはスゴイ!さすがの財力と権力がわかるエピソード

カトリック世界から離脱してもアンと結婚したかったヘンリー8世

キャサリン王妃には、甥の神聖ローマ皇帝もついています。

ローマ教皇としても、神聖ローマ皇帝が反対しているのに、ヘンリー8世とキャサリン王妃の離婚を認めるわけにはいかないでしょう。

そもそもヘンリー8世がキャサリン王妃と結婚できたのも、兄アーサー皇太子とキャサリン王妃との結婚が「無効」とローマ教皇に認めてもらってこそだったのですから、いまさらキャサリン王妃と離婚したい、結婚を無効にしたいといっても通るわけがないですよね。

おまけにキャサリン王妃はイギリス国民の支持もあり、ヘンリー8世は周りの人すべてを敵に回してまでアンとの結婚を望んだといえます。

ヘンリー8世はついに教皇庁と断絶して、首長令によりイギリス国内では国王が宗教も政治でも最高指導者と宣言しイギリス国教会の原型が成立したのです。

なぜヘンリー8世が教会の首長になるかといえば、このままではローマ教皇の命令に従わずに破門される恐れがあり、そうなれば国内では結婚式や洗礼も受けられずお葬式や埋葬もできなくなるからなんです。

これによって、反対した大法官のトーマス・モアは反逆罪で処刑され、イギリス国内のカトリック修道院が解散、破壊されて財産も強奪され、修道士たちも多く処刑されました。

結婚式というよりも戴冠式

ヘンリー8世は離婚を成立させてめでたく盛大な結婚式を挙げるかと思いきやチュダー時代の結婚式は簡素なものだそうで、1533年1月25日に友人や親族だけを集めて密かに結婚式を行いました。

そして1533年5月にアンを正式な王妃にし、戴冠式が行われました。

アンのグリニッジにある館は、王妃にふさわしいように新しい家具やタペストリーなどが運び込まれ、召使たちは「最も幸せな女」というアンのモットーが縫い込まれた青と紫のお仕着せを着ていました。

アンは毛皮で縁取りしたタフタ、裏地が深紅で白黒のガウンを着て、毎日たくさんの宝石を身に付けていたそうです。

毛皮の縁取りというのは、王族や貴族にだけ許されたものだそうです。

玉の輿のその後

王女を出産したが、次は流産した

王妃となったアンは1533年9月にエリザベス王女を出産し、エリザベス王女はヘンリー8世の正式な子として認められてイギリス国王の継承権を得ました。

そしてアンはまた妊娠したのですが、流産してしまいます。

ヘンリー8世は世間の反対を押し切ってまでして結婚したのに、アンに男の子が生まれないので急速に気持ちが冷めてしまい、アンの従妹に当たる女官のジェーン・シーモアに気持ちが移って行ったのです。

ミサキ
ミサキ
気持ちが移るの早すぎっ

汚名を着せられて処刑された

ヘンリー8世はワンマンな暴君でした。

1936年、アンが王妃として戴冠してわずか3年後には、ヘンリー8世はアンに姦通罪とか色々な罪を着せてロンドン塔に投獄し、処刑してしまいました。

アンの娘のエリザベス王女は、アンの死後、嫡出の王女の身分だったのが継承権のない庶子に落とされたり、また嫡出子とされたりと不安定な育ち方をしたのです。

ですが、6番目の王妃で知性派のキャサリン・パーに育てられ、きちんと教育も受けたおかげか、イギリスがもっとも繁栄した時代の名君エリザベス1世として名を残しています。

歴史上に名を遺すほどの人物を生み出すために、アンは存在したといえるのかもしれません。

参考文献(Amazonリンク) アン・ブリンの生涯 キャロリー・エリクソン著

玉の輿エピソードからわかった!私にもできるお金持ちと結婚して幸せになるためにするべき3つのこと

自分の個性を活かして自分磨きをしよう

玉の輿にのりたいならおしゃれや流行の先端を行って目立つのもいいかもしれないけれど、他の人とは違う特性を思い切り生かして自分磨きをするのも大切です。

アンは外国育ちで、まわりとは違う雰囲気を持っている個性的な女性でした。

当時の美人の条件とは全く違い、色黒で髪の色も黒かったアンは、目立って美人というわけでもなくヘンリー8世のお気に入りというほか何も特徴がないといわれたそうです。

見かけは美人でなくてもフランス宮廷に仕えていた経験から、フランス宮廷仕込みで男女の恋愛にも長け、あの手この手で思うままに男性をとりこにするワザがあったのではと思います。

権力者やお金持ちと知り合いになれる場所にいく

アンはフランス宮廷とイギリス宮廷に仕えていましたが、貴族や国王と知り合えるサークルのなかにいました。

宮廷に仕えて権力者の近くにいることで、玉の輿にのるチャンスが生まれたのです。

王族とか貴族、お金持ちとかは、案外狭いサークルの人間関係なことが多いです。

現代でも、チャールズ皇太子とカミラ夫人の元夫は友人で、カミラ元夫はチャールズ皇太子の妹のアン王女と付き合っていたこともあります。

また、カミラ元夫の再婚相手は長年の愛人でダイアナ元妃の親戚にあたり、さらにダイアナ元妃の母はカミラ夫人の親戚にあたる人と再婚していたなど、呆れるほど狭い人間関係の中にいるようです。

玉の輿にのりたいなら、お金持ちが集まるコミュニティに思い切って飛び込んでいくことが必要だといえます。

お金持ちでも危険人物は避ける

玉の輿にのってお金持ちと結婚をしても、男の子ができないとか、自分の思い通りにならないからという理由で暴力に訴えるような人が夫だと結婚後の生活は大変です。

お金持ちと結婚できても幸せとはいえませんし、最悪な事態を想定すると自分の命の危険があります。

「優しいときもあるから」とガマンしていても、いつまた豹変するかわかりません。

もしお金持ちの男性にそんな暴力的な一面を見てしまったのならば、全力で逃げた方が身のためです。