玉の輿エピソード

【イギリス】メアリー・オブ・テックの玉の輿エピソードから学ぶ玉の輿チャンスをつかむ3つのポイント

ネコ先生
ネコ先生
メアリー・オブ・テックから玉の輿にのるためのノウハウを学びましょう。

今回は、現イギリス女王エリザベス2世の祖母であるメアリー・オブ・テックについてご紹介していきます。

未婚の女性なら誰もが憧れる玉の輿。

自分の運命をガラッと変えることができるのが、玉の輿による結婚の最大の魅力ですよね。

玉の輿に憧れてはいるけれども「具体的に何をすればいいのかわからない」と悩む人は多いのではないでしょうか。

でも、うっとりと憧れているだけでは玉の輿に乗ることなんてできません!

玉の輿に憧れているだけではなく、玉の輿を現実に引き寄せるための行動をしっかりしていきましょう。

この記事では、実際にあった玉の輿のエピソードから、どうやって玉の輿による結婚を成功させたのかというポイントやノウハウをご紹介していきます。

さっそく今日からできることを少しずつでも真似して実践していってください。

それではさっそくいってみましょう!

メアリー・オブ・テックの玉の輿エピソード

玉の輿に乗ったメアリー・オブ・テックの生い立ち

メアリー・オブ・テックは王族の出身

メアリー・オブ・テックはテック公爵フランツを父、ケンブリッジ公爵の長女メアリー・アデレードを母として、1867年5月26日にロンドンのケンジントン宮殿で生まれました。

NHKで放送されたドラマ「女王ヴィクトリア、愛に生きる」で、「ケンブリッジ叔父様」として登場するのはメアリー・オブ・テックの祖父です。

メアリー・オブ・テックには「ヴィクトリア・メアリー・オーガスタ・ルイーズ・オルガ・ポーリン・クローディン・アグネス」という長い正式名がありますが、メアリーの愛称である「メイ」と呼ばれていました。

王族だけど両親はお金持ちではなかった

メアリー王女の父フランツはドイツのヴュルテンベルク王族でしたが、両親が貴賤結婚だったために王位継承権がなく、軍隊に入るしかありませんでした。

貴賤結婚とは

どちらかが高貴な身分で、どちらかが低い身分の者同士の結婚のこと。

キリスト教の結婚は一夫一婦制であるため、王族やその親族は、身分的に釣り合いのとれる相手との結婚が重視されました。

臣下や身分の隔たりのある相手と結婚した場合は、本人や子孫の継承権が剥奪され、宮廷行事での席次にも影響が出たのです。
もちろん現在はこのような制度は撤廃されました。

そしてフランツはすでに30代になっていたイギリス王族ケンブリッジ公爵の次女(4歳年上)と結婚しました。

「彼女にはイギリス王室からの年金収入があるから」という経済的な理由の結婚です。

メアリー王女の両親は、ヴィクトリア女王から、ケンジントン宮殿の数室とカントリーハウスとしてホワイトロッジに邸宅を与えられました。

メアリー王女の両親、特に母は収入は少なくても社交好きで、王族としての生活をするために借金を重ねていました。

そしてイギリスに居づらくなって、一家はヨーロッパの親戚を頼って転々と暮らしたのです。

メアリー王女はこのヨーロッパを転々とする生活の中で、ヨーロッパ大陸の文化や美術品に親しみ、知識を深めていきました。

昔は家庭教師について学ぶくらいで学校へは行かないので、こういう機会にメアリー王女は教養を身につけていったのですね。

舞台となったイギリスの時代背景

メアリー王女が生きたのは、ヴィクトリア女王の時代でした。

ヴィクトリア女王は、従弟のアルバート公と結婚して9人の子供に恵まれます。

その9人の子供たちがさらにドイツ王族やヨーロッパ各国の貴族と結婚したので、ヴィクトリア女王には孫たちがヨーロッパじゅうに大勢いました。

ヴィクトリア女王は「ヨーロッパの祖母」といわれたくらいです。

昔の王室は政略結婚が多かったのですが、19世紀になると親族の結婚式などの集まりで出会いがあり、普通に恋愛し、両親などの許しを得て結婚することが多くなっていました。

親族、縁続きの王室や貴族とはいえ、愛情のある結びつきが主だったのに、メアリー王女は選ばれて吟味された、「ある事情のある人」とお見合いをすることになったのでした。

玉の輿に乗るきっかけとなったできごと

メアリー王女のお見合い相手はイギリス王室の後継ぎだった

メアリー王女のお見合い相手は、ヴィクトリア女王の長男のエドワード皇太子の長男で、クラレンス公爵アルバート・ヴィクター王子です。

このときアルバート・ヴィクター王子は27歳でした。

彼は評判の良い人ではなく「読み書きがやっとで、話題に事欠く、精彩に欠ける、うつろな顔つき」で、官能的な生活にしか興味を示さない人でした。

そして、性病の治療を受けている、愛人もいる、大酒飲みで痛風持ち、果ては同性愛者だの、当時の連続殺人犯、あの切り裂きジャックの疑いまであったのです。

アルバート・ヴィクター王子が切り裂きジャックかどうかはいざしらず、無気力で頭が悪いことは両親も祖母のヴィクトリア女王も見抜いていたので、招来国王になる彼を支えるには相当しっかり者の妻が必要だと思っていたのです。

最初に彼の妻の候補になったのが、ヴィクトリア女王のお気に入りの孫娘でヘッセン公女アリックスでした。

でも従妹にあたるアリックスは、「強制ならば従うが、彼との結婚は絶対に嫌だ」といったそうです。

アリックスは、後のロシア皇帝ニコライ2世と結婚しました。
そのほかの従妹たちにも逃げられてしまいました。

そしてアルバート・ヴィクター王子は、「フランスのルイ・フィリップ国王の孫にあたるパリ公爵の娘と結婚したい」といいだしましたが、改宗の問題もあり実現しませんでした。

ヴィクトリア女王は、従妹の娘のメアリー王女を思い出し、彼女の写真を見て実際に呼び寄せました。

メアリー王女は金髪で青い目をし、24歳になっていました。
当時としてはちょっとお年頃を過ぎようとする年頃ですね。

自分に似合いの人との結婚を諦めかけていたメアリー王女は、ヴィクトリア女王にとても気に入られます。

それも「今後もイギリスの君主制が生き延びるために、将来の鍵を握るのは後継ぎアルバート・ヴィクター王子の、妻というより保護者になれるような若い女性にかかっている」という期待を持たれることになります。

そして、メアリー王女とアルバート・ヴィクター王子とのお見合いもうまくいき婚約も公表され、結婚式の日時も決定したのですが、なんと彼は肺炎にかかり6週間後に亡くなってしまいました。

婚約者が亡くなり、意外な展開に

アルバート・ヴィクター王子はたしかに評判悪い人でしたが、若死にはいつの時代でも悲劇的なことです。

国民的にも悲しみが盛り上がり、メアリー王女は悲劇のヒロイン的な存在になりました。

そしてヴィクトリア女王以下、エドワード皇太子夫妻もメアリー王女をこのまま手放すのは気の毒だと思いました。

「喪が明ければ弟のジョージ王子にメアリー王女を」と誰もが思っていたようです。

ジョージ王子は、当時愛人もいたし、従妹のひとりで、ヴィクトリア女王の次男エジンバラ公と、ロシア皇帝アレクサンドル2世の娘であるマリア大公女との長女マリアと恋愛関係にあり、結婚の承諾も得ていました。

それはヴィクトリア女王もエドワード皇太子とその弟エジンバラ公も了解の仲でした。

けれども、ドイツ嫌いのジョージ王子の母アレクサンドラ王妃と、イギリス王室に対抗意識を燃やしていたロシア皇帝の娘であるマリアの母の反対にあい、悲恋と終わりました。

マリアはルーマニア王太子と結婚したのでした。

そしてアルバート・ヴィクター王子の喪が明けた後、ジョージ王子は正式にメアリー王女と婚約しました。

メアリー王女は将来の皇太子、国王になる人と結婚が決まり、玉の輿に乗ることになったのです。

これはスゴイ!さすがの財力と権力がわかるエピソード

今に伝わる豪華なティアラ

メアリー王女に贈られた豪華で有名なティアラがあります。
その名も「ガールズ・オブ・グレイト・ブリテン・アンド・アイルランド・ティアラ」。
現代まで伝わるその派手なティアラは、今ではチャールズ皇太子のカミラ夫人が女王の許しを得て身に付けています。

貴族の家宝を強奪!

メアリー王女は、貴族の館を訪問して、その貴族の家に代々伝わる家宝を見せてくれるように話を持っていき、その家宝をほめちぎるのが上手だったそうです。

そして気をよくした貴族が「差し上げましょうか」といわざるを得ないようにして、その家宝を手に入れていました。

家宝を分捕られた貴族は、みな涙にくれたそうで、メアリー王女が家宝を手に入れるやり方は「良く言っても強盗の一歩手前」とさえいわれました。

また、イギリス王室はロシアのロマノフ家と親戚関係であったので、ロシア革命のときに海軍の船を差し向けて、エドワード7世の叔母に当たるマリア皇太后とその娘たちを救出しました。

メアリー王女は、この義理の叔母マリア皇太后らの宝石をも「強奪した」のでした。

その後、孫のエリザベス女王が最近になって、祖母メアリー王女が強奪した宝石の代金を支払ったということです。

日本の故高松宮妃殿下とご対面時の様子

日本の故高松宮妃殿下がご夫妻で1930年に欧米を周遊訪問されたとき、メアリーに実際に会われた話では「メアリ王妃は、素晴らしい鳩胸の方で、とても大きな宝石を身に付けていらした」ということでした。

モノクロ写真でしかわからないメアリーの実像が、何か少し伝わってくるような気がしませんか。

玉の輿のその後

浮気もなく幸せな結婚生活

メアリー王女とジョージ王子は、1893年7月6日にセント・ジェームズ宮殿のチャペル・ロイヤルで結婚式を挙げました。

結婚後はサンドリンガム宮殿に住み、5男1女をもうけました。

後に皇太子となりジョージ5世として即位した夫は、愛人も作らず、王妃となったメアリーと不仲という噂もありませんでした。

ジョージ5世との結婚生活も幸せなものだったようです。

ジョージ5世の父エドワード皇太子には何人も愛人がいたこと、愛人がいるのが普通のことだったハノーバー朝の国王たちやヴィクトリア女王の父の世代の王族たちとくらべると、ジョージ5世が愛人をつくらなかったのはとても珍しいことでした。

それほどメアリー王妃はジョージ5世に愛されていたのでしょう。

内助の功で王室を支えたメアリー王妃

メアリー王妃は夫を支え、王族としての義務を果たし、伝統を重んじる人であったようです。

第一次世界大戦中にジョージ5世は、敵国ドイツにちなんだそれまでの家名を王宮のあるウィンザー城にちなんでウィンザー家に改名し、メアリー王妃もドイツの父方ではなく母方のイギリス王室の血を強調しました。

第一次世界大戦後のヨーロッパでは、ロシア皇室に代表されるように、革命などで滅びてしまう王室が多かったのですが、ジョージ5世は、第一次大戦中にはラジオ演説で国民を励ましたり、1917年に王室婚姻法を改正し、王族が王族でない英国民と結婚できるようにして、イギリスのナショナリズムを意識した王室の意向を大々的に宣伝しました。

そして国民の結束を呼びかけたのです。

それがイギリス国民に王室に対する熱狂的な支持を得るのにつながって、王室の地位は盤石になったということです。

寂しかった子供たち

メアリー王妃は王室の伝統にのっとって、子供たちを乳母や家庭教師に任せきりにしたため、祖母のアレクサンドラ王妃が代わって孫を可愛がったということです。

メアリー王妃の長男エドワード皇太子は、母の愛を得られない寂しさから長じて女性遍歴に走ったのでした。

メアリー王妃の末子で障害のあるジョン王子のドラマ「ロスト・プリンス~悲劇の英国プリンス物語」でも、家族が揃う家庭というイメージはなく、子供たちだけ別の屋敷に住み、教育係に育てられていた様子が描かれています。

夫の死後も影響力大だった

メアリー王妃は、王太后になっても影響力は大きく、自分の息子であっても、王室の品位を汚すような言動に対しては非常に厳格な対応をしました。

特に長男のエドワード皇太子とシンプソン夫人とのスキャンダルのときも、退位に影響力を及ぼしたと言われています。

参考文献 「ヴィクトリア女王」 スタンリー・ワイントラウブ著 中央公論社刊

玉の輿エピソードからわかった!私にもできる玉の輿チャンスをつかむ3つのポイント

①夫の手助けができる能力の高い女性であること

将来の夫に頼るだけではなく、自分も能力が高い女性であることを目指しましょう。

メアリー王妃は夫の手助けができる能力の高い女性だったからこそ、将来の国王の嫁に選ばれたのです。

メアリーは夫のスピーチの原稿を手伝ったりもできたし、短気な夫を支えました。
さらにメアリーはイギリス王室の伝統を受け継ごうとする人でした。

夫のジョージ5世をサポートし、王室の地位を盤石にする手助けをしたのです。
そしてメアリーは王太后になっても影響力は大きく、王室の品位を汚すような言動に対しては非常に厳格な対応をしました。

メアリーは息子のジョージ6世よりも長生きし、孫娘エリザベス女王の戴冠式の前に85歳で亡くなりました。
「地球上で最後に残る国王は、トランプの四人の王様とイギリス国王のみ」といわれますが、微妙な時代に生き残ったイギリス王室へのメアリーの貢献度は、並々ならぬものがあったといっていいでしょう。

②魅力的な女性であること

いつの時代も変わらず、男性をひきつけるのは「魅力的な女性であること」です。

メアリーの母のことを従姉のヴィクトリア女王は、親戚だからといって好意をもっておらず、むしろ嫌っていたということです。

でも、ヴィクトリア女王もエドワード皇太子夫妻も、メアリー本人をとても気に入ったのです。

メアリーについて「頼りない孫息子を支えてくれるにふさわしい」と思ったこと、そして長男亡きあとも「次男のジョージと結婚させたい」と思ったということは、とりもなおさず、「イギリス王妃にふさわしい」と思わせるなにかをメアリー王女が持っていたということでしょう。

また、アルバート・ヴィクター王子もジョージ王子も、愛人がいたし求婚者もいたのに、最終的にはメアリー王女を気に入り、婚約、結婚に同意するほどメアリーは魅力的な女性だったといえます。

メアリーの姑であるアレクサンドラ王妃は「大変な美貌であるとかファッションセンスが良い」という評判が付いてまわり、今に残る写真を見ても美貌の王妃ですが、メアリーの場合、厳格な感じの気品は備えているもののそこまでの評判はありません。

しかし夫のジョージ5世は、晩年になっても「ますますあなたへの愛が深まるばかりだ」とメアリーに手紙を書いているのです。

③教養があること

貴族の家宝を強奪はよくないですが、美術品に対する審美眼はたしかで、メアリーの教養深さを物語っているとおもいます。

両親とヨーロッパでの生活で文化的な教養を身に付けたことが、メアリーの魅力をさらに大きくしたといえます。
教養深いことが、ヴィクトリア女王や夫にも愛される理由になっているのです。

また、メアリーの教養深さが王族としての威厳を持ち、伝統を守ることにつながり後の内助の功として役立ったのです。