【イギリス】クイーンマザーの玉の輿エピソードから学ぶ玉の輿チャンスをつかむ2つのポイント

未婚の女性なら誰もが憧れる玉の輿。
自分の運命をガラッと変えることができるのが、玉の輿による結婚の最大の魅力ですよね。

玉の輿に憧れてはいるけれども「具体的に何をすればいいのかわからない」と悩む人は多いのではないでしょうか。

でも、うっとりと憧れているだけでは玉の輿に乗ることなんてできません!
玉の輿に憧れているだけではなく、玉の輿を現実に引き寄せるための行動をしっかりしていきましょう。

この記事では、実際にあった玉の輿のエピソードから、どうやって玉の輿による結婚を成功させたのかというポイントやノウハウをご紹介していきます。

さっそく今日からできることを少しずつでも真似して実践していってください。

今回は、現エリザベス女王の母君であるクイーンマザーについてご紹介していきます。

それではさっそくいってみましょう!

クイーンマザーの玉の輿エピソード

玉の輿に乗ったクイーンマザーの生い立ち

・スコットランド貴族の出身

クイーンマザーは、ジョージ6世の王妃で、現エリザベス女王の母君です。

1900年8月生まれ、名門スコットランド貴族のストラスモア伯爵の10人兄弟の9番目の末娘です。
「レディー・エリザベス・アンジェラ・マーガレット・ボウズ=ライアン」が正式名です。
母方も「キャバンディッシュ家」という首相も出した家柄ですが、スコットランド貴族はイングランド貴族の次点でした。
以下、クイーンマザーと呼びますね。

クイーンマザーは、幼少時を父の居城であるグラームス城(色々な伝説のあるところです)と、セント・ポールズ・ウォルデンで過ごしました。
グラームス城へは王室の人たちが訪れることがしばしばあり、クイーンマザーと兄弟たちは、同じ年代の王室の子供たちと一緒に遊んだこともあるそうです。

・子供の頃から優秀だった

クイーンマザーは8歳で家庭教師に着いたのち、ロンドンの学校に通い、古代ギリシアの哲学者クセノフォンの著作を題材とした作文を書いて、教師達をびっくりさせたくらい早熟な才能を発揮し、聖書学と文学が得意でした。

その後、13歳でオクスフォード・ケンブリッジ資格試験に優等で合格しました。
クイーンマザーは頭の良い方だったんですね。

舞台となったイギリスの時代背景

・「ダウントン・アビー」と同じ第一次世界大戦の頃に成長

クイーンマザーの14歳の誕生日、イギリスはドイツに宣戦布告し第一次世界大戦に参戦しました。

クイーンマザーの4人の兄たちも陸軍に従軍し、一人は戦死、もう一人は捕虜となったのでした。

ストラスモア伯爵家のグラームス城は、戦時負傷者の療養場所として提供され、まだ15歳のクイーンマザーも負傷者の看護を手伝ったということです。

クイーンマザーの若い頃をよりよく知るためには海外ドラマ「ダウントン・アビー」を観るのがオススメです。

クイーンマザーの若い頃は、まさにドラマ「ダウントン・アビー」で描かれた時代でした。

ドラマにでてくるグランソン伯爵の三姉妹から、当時の貴族女性の生活や結婚事情などを思い浮かべてみてくださいね。

玉の輿に乗るきっかけとなったできごと

・デビュタント

貴族の子女は、18歳になると舞踏会に招待されて社交界デビューします。
その初々しい紳士、淑女たちを、デビュタントといいます。

ヒストリーチャンネルで放送されたイギリス制作の番組によれば、クイーンマザーは、彼女がデビューした年のデビュタントのなかでは、トップの評価だったといいます。
注目度ナンバーワンの魅力的な女性だったのではと思います。

ドラマ「ダウントン・アビー」でも、グランサム伯爵の従妹の娘レディー・ローズを連れて、バッキンガム宮殿の舞踏会に行くエピソードがありました。
貴族の子弟、子女たちが次々と紹介され、玉座に座った国王夫妻の前にすすんでお声を掛けられていましたが、クイーンマザーも、そのような機会にアルバート王子に見初められたのでしょう。

・ジョージ5世の次男に求婚される

ジョージ5世の長男はエドワード皇太子で、年子の次男アルバート王子は内気な性格で海軍軍人でした。
ヒストリーチャンネルの番組にでていた歴史家によれば、アルバート王子は侍従か宮内長官か、とにかく側に使える人に「クィーンマザーを誘ってくれないか」と頼んだそうです。

が、「最近の若い方には、直接誘う方が好まれるということなので、ご自分でお誘いになったらいかがですか」と突き放されたそうです。
けっこう冷たいですよね。

とにかく、1921年にアルバート王子はクイーンマザーにプロポーズしたのですが、断られてショックを受けたのでした。
クイーンマザー以外の人との結婚は考えられないとまで言うので、アルバート王子の母メアリー王妃がクイーンマザーに会いに、わざわざスコットランドのグラームス城を訪れたのです。

そしてメアリー王妃は「クイーンマザーこそが息子を幸せにできる女性だ」と確信し、息子と結婚してくれるよう説得にあたりましたが、やはりクイーンマザーは承諾しなかったのでした。
そしてクイーンマザーが、1922年に彼女の友人でアルバート王子の妹のメアリー王女の結婚式の付添人を務めた後、アルバート王子は再び彼女にプロポーズしたのですが、だめでした。
アルバート王子、一途な方ですね。

断られても断られても、どうしてもクイーンマザーが諦められなかったのでしょう。
クイーンマザーも、引く手あまただっただろうし、他の人とさっさと結婚してもいいのでは、と思いますが、そこはやはりアルバート王子には惹かれていたが、王室入りへの決心をするのに時間がかかったのでしょうね。

そして1923年1月に再々度のプロポーズで、やっとクイーンマザーは結婚を承諾したのです。
ふたりはその年の4月にウエストミンスター寺院で結婚式を挙げたのでした。

・ジョージ5世のお気に入りに

ヒストリーチャンネルの番組の歴史家のコメントでは、クイーンマザーは舅に当たるジョージ5世にもとても気に入られたということです。

写真でも見るからにいかめしい髭面のアルバート王子の父は、時間厳守で遅刻を許さない人でしたが、ある時、クイーンマザーが遅れて到着しました。
もちろんクイーンマザーは謝りましたが、国王陛下は若い嫁を叱るどころか、「いいえ、あなたが遅れたのではない、私たちが早く来過ぎたのです」と言ったということです。

これはジョージ5世らしくない、仰天すべきエピソードとして語られていました。
若くて美しい息子の嫁を甘やかすデレデレの舅というのではなくて、国王陛下までもが、クイーンマザーの人格を尊重して認めていると、周囲の人々も驚いたのでしょう。

ジョージ5世はまた、アルバート王子とクイーンマザーの間に生まれたエリザベス王女を溺愛したそうです。

これはスゴイ!さすがの財力と権力がわかるエピソード

・豪華客船の名前に

豪華客船の初代のクイーンエリザベス号は、エリザベス女王ではなく、クイーンマザーからとられた船名です

・競馬好きで、競走馬も所有

クイーンマザーの競馬好きは有名で特にグランドナショナルがお好き、競走馬も何頭も所有していました。

・一年にわずか4週間ほど過ごすだけのお城を持っていた

クイーンマザーは、ジョージ5世と死別後、スコットランド北岸のケイスネスにあるメイ城 を手に入れて修復させ、亡くなるまで毎年8月の3週間、10月の10日間を過ごしました。
写真を見ればわかりますが、ものすごいお城です。

・バースデイには軍隊のパレード

毎年の8月のお誕生日には、住居のクラレンスハウスの前をクイーンマザーが名誉隊長になっている軍隊がパレードし、群衆からクイーンマザーに花束やプレゼントが渡され、女王以下、ロイヤルファミリーが門の前で迎える行事がありました。

玉の輿のその後

・アルバート王子はジョージ6世に

アルバート王子とクイーンマザーは結婚後、ヨーク公爵夫妻となり、2人の娘にも恵まれて、幸せな家庭生活を送りました。

おそらく王室のなかでも「身分違い」とか言う人もなく、夫アルバートとの間の愛情も深く、短いながらも幸せな結婚だったのではと思います。

アルバート王子は「我々4人」と言い、家族の絆を大事にしました。

しかし、1936年に父ジョージ5世が崩御後、長兄のエドワード8世がシンプソン夫人と結婚するために退位したことで、アルバート王子はジョージ6世として即位し「我々4人」は国王ご一家になったのです。

アルバート王子は国王になる訓練は受けていないと、悲壮な気持ちで即位しました。
時代も第二次世界大戦が勃発したせいで、精神的にも肉体的にも大変な負担になったのでした。
クイーンマザーは、全身全霊で夫を支え、イギリス国民を励ますためにあちこちを訪問したり、チャリティー活動も行ったのでした。

・映画「英国王のスピーチ」でも有名

アルバート王子は吃音症でした。
なので、公式な場での演説が苦手でした。
クイーンマザーは、2010年制作の映画にもあるように、オーストラリア人セラピストのライオネル・ローグらの治療を受けさせ、夫の吃音症の改善に全面的に協力したのです。

・第二次世界大戦中の有名な逸話

第二次世界大戦になり、ロンドンがドイツ軍に空襲されるようになりました。
エリザベス現女王と妹のマーガレット王女をカナダに疎開させようという話もありましたが、クイーンマザーは「私の子供たちは私のもとを離れません。また、私は国王陛下のもとを離れません。そして、国王陛下はロンドンをお離れになりません」と言って拒否した話は有名です。

また、バッキンガム宮殿がドイツ軍の空襲を受けたときも「爆撃された事に感謝しましょう。これでイーストエンド(貧しい人々の住む下町)に顔向け出来ます」というコメントをしています。
何と強気の発言なのでしょうか。

国民と共に歩むイギリス王室が難しい戦争前後の時代を切り抜けられたのは、クイーンマザーの内助の功あってこそでしょう。

あのヒトラーは、イギリスの士気に多大な影響を与えるクイーンマザーを評して「ヨーロッパで最も危険な女性」と恐れたほどでした。

ジョージ6世は1952年に亡くなり、娘のエリザベスが女王として即位しました。
そしてクイーンマザーは101歳まで長寿を保って、2002年に亡くなりました。

クイーンマザーは、エドワード8世の退位、第二次世界大戦、そして1990年代の孫たちの離婚やスキャンダルという王室存続の危機にも、イギリス国民の敬愛を失わず毅然とした態度で乗り切ったことで、いつまでも人々に忘れられない記憶に残る女性となったのです。

クイーンマザーの玉の輿エピソードからわかった!私にもできる玉の輿チャンスをつかむポイント

見込まれたからには、病めるときも貧しきときも戦争になっても夫を支え切る

クイーンマザーは「アルバート王子に懇願されて結婚した」とか「ジョージ5世やメアリ王妃に気に入られた」ということに甘えて、贅沢三昧の自分勝手な生活をする人ではありませんでした。

イギリス王室と国民の「夫であるアルバート王子を支えるように」という期待に十分すぎるほど応える働きができる人だったのです。

 身分が上の人をも惹きつけるカリスマ性を身に付ける

デビュタントのナンバーワンで引く手あまたの女性に、引っ込み思案でおとなしい男性が、断られて断られても諦めず、お母さままで説得に登場しました。
「クイーンマザーしかいない」と必死になってプロポーズしている様は「玉の輿」というよりも、むしろ逆に「三顧の礼を持ってもろ手を挙げて迎えた」という感じが濃厚です。

クイーンマザーは小柄で控えめな感じですが、あたりを払う威厳があり、存在感がありました。
若い頃もきっと気の弱い男性が頼りたくなるカリスマ性を持った女性だったのではと思います。

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