玉の輿エピソード

【モナコ】まるで映画!グレース・ケリーの玉の輿エピソードから学ぶお金持ちと結婚する方法とは

ネコ先生
ネコ先生
今回は、モナコでいわゆる玉の輿にのったグレース・ケリーのシンデレラストーリーについてご紹介していきます。

玉の輿に憧れてはいるけれども「具体的に何をすればいいのかわからない」と悩む人は多いのではないでしょうか。

でも、うっとりと憧れているだけでは玉の輿に乗ることなんてできません!
玉の輿に憧れているだけではなく、玉の輿を現実に引き寄せるための行動をしっかりしていきましょう。

この記事では、実際にあった玉の輿のエピソードから、どうやって玉の輿による結婚を成功させたのかというポイントやノウハウをご紹介していきます。

さっそく今日からできることを少しずつでも真似して実践していってください。

それではさっそくいってみましょう!

グレース・ケリーの玉の輿エピソード

モナコに嫁いだ玉の輿といえば、グレース・ケリーがとても有名です。

人気絶頂の大女優から一国の妃となったシンデレラストーリーは知っている人も多いのではないでしょうか。

あの超高級なエルメスの「ケリーバッグ」の呼称は、このグレース・ケリーが愛用していたことからきています。

大女優っていうのもすごいのに、そこから公妃になるなんてスケールが違いすぎます。

でも、グレース・ケリーのシンデレラストーリーから私たちも学べることはあるんですよ!

玉の輿に乗ったグレース・ケリーの生い立ち

グレース・ケリーは1929年アメリカのペンシルベニア州で生まれます。

小さい頃からダンスやピアノを学び、そして演技にも興味を持ち始めます。

高校卒業後には、家族の反対を押し切ってニューヨークで女優を目指します。

ニューヨークでは舞台女優をめざしていましたが、ハリウッドから声がかかります。

「ダイヤルMを廻せ!」などでヒロインをつとめ、「喝采」でアカデミー主演女優賞を受賞するほどの大女優となります。

玉の輿の舞台となった「モナコ」ってどんな国?

ところで、グレース・ケリーの嫁ぎ先であるモナコとはどのような国なのでしょうか。

モナコ公国

  • 最大の都市ーモンテカルロ
  • 国土面積ー2.02㎢
  • 人口ー約3万人

モナコとは世界で2番目に小さい国で、国土はフランスと地中海に囲まれています。

とても小さい国なので、軍事面や鉄道などのインフラ面ではフランスに依存しています。

また、所得税がないことから世界中の富裕層がモナコに集まってきます。

モナコの港にはクルーザーなどの船が数多く常駐していたり、街中がレーシングコースになるF1やモナコのカジノはとても有名なので、「モナコ=お金持ちの国」というイメージを持った人も多いです。

そんなお金持ちの国モナコに嫁いだからこそ、グレース・ケリーのシンデレラストーリーは一段ときらびやかで誰もが憧れるものなのかもしれません。

玉の輿に乗るきっかけとなったできごと

1955年にカンヌ国際映画祭でモナコ大公レーニエ3世と運命の出会いをはたします。

2人がカンヌで出会った7ヵ月後のクリスマスに、モナコ大公レーニエ3世はグレース・ケリーにプロポーズ。

そして出会いから1年もしないうちに2人は結婚し、世紀の結婚式を挙げます。

グレース・ケリーはその当時人気絶頂の大女優で26歳。

まさにおとぎ話のようなシンデレラストーリーに世界中が沸き立ちました。

これはスゴイ!さすが玉の輿の結婚式!

一国の大公の結婚式はさすが豪華!

その豪華な結婚式はテレビで生中継されるほど世界中の人々の注目の的でした。

グレース・ケリーのウェディングドレスは、なんとハリウッドの職人35人が1ヵ月以上かけて縫った繊細なレースのもので、何百というパールが縫い付けられていました。

聖ニコラ大聖堂でのセレモニーには豪華な来賓600人が参列。
実業家や、映画スターなども顔を並べました。

そして結婚式が終わると、なんと7週間のハネムーンへと出発。
うーん、羨ましすぎる!

結婚後の生活

モナコで公妃となる道を選んだグレース・ケリーは、女優業からは引退してしまいます。
人気絶頂の大女優という立場を捨てて、一国の公妃となったのです。

モナコでの新しい生活は順風満帆ではありませんでした。

故郷からも遠く離れ、フランス語がわからず、最初はなかなかモナコになじめず苦労も多かったようです。

のちに子どもを授かり、公妃としてモナコの公務を積極的におこなうなかで次第にモナコに溶け込んでいくようになります。

公務を通してモナコの文化や芸術の発展に力を注ぎ、夫のモナコ大公に寄り添ってモナコ公国の発展を支えていきます。

グレース・ケリーは、1981年に神戸で開催された「神戸ポートアイランド博覧会」に参加するために日本に来たこともあるんですよ。

1982年に52歳という若さで交通事故で亡くなりましたが、グレース・ケリーは今なお世界中で親しまれています。

玉の輿エピソードからわかった!私にもできるお金持ちと結婚するチャンスをつかむ3つの方法

反対されても自分のやりたいことを貫く

家族の反対で夢をあきらめてニューヨークへ行っていなかったら、グレース・ケリーは大女優になれませんでした。

生涯ペンシルべニア州で暮らし、地元の男性と結婚する平凡な人生をおくっていたかもしれません。

反対されても自分の夢を追い求める芯の強さをもっていたからこそ、グレース・ケリーは大女優になることができたのです。

そして大女優となってカンヌ国際映画祭でモナコ大公レーニエ3世と出会うというビッグチャンスをもつかむことができたのです。

ピンと来たら「会ってみる」好奇心を大切にする

グレース・ケリーがモナコ大公レーニエ3世と会ったのは、他の女優の紹介がきっかけでした。

カンヌ国際映画祭のためにカンヌに向かう列車の中で、モナコ大公レーニエ3世と交友のある夫を持つ女優がグレース・ケリーに声をかけます。

もしこのときにグレース・ケリーが断っていたら、運命の出会いは無かったかもしれません。

常に心を開いて、人に「会ってみよう」という好奇心を忘れないことが大切です。

運命の出会いを逃さない

運命の出会いがあったとしても、魅力的な女性でなければチャンスはつかめません。
運命は素通りしていってしまいます。

どんなときでも運命の出会いを逃さないように、自分を磨いて魅力的な女性でいることは絶対に必要です。