【フランスで玉の輿】ありきたりな男にはなびかないウージェニー妃の恋愛テクとは

今回は、フランスで玉の輿にのったウジェニー・ド・モンティジョのストーリーを紹介していきます。

ウージェニーは、ナポレオン3世の皇后となった女性です。

ウージェニーは、オーストリア・ハンガリー帝国のエリザベート皇后と並び、この時代を代表する美貌の皇后といわれています。

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目次

ウージェニー皇后の玉の輿エピソード

玉の輿にのったウージェニーの生い立ち

ウージェニーの本名は、マリア・エウヘニア・イニャシア・アグスティナ・デ・パラフォクス・イ・キルクパトリックです。

通称の「ウジェニー・ド・モンティジョ」とはフランス語読みの名前です。
スペイン語読みにすると「エウヘニア・ド・モンティホ」になります。

ウージェニーは、1826年5月5日に、スペイン王国のグラナダに生まれました。
生家はスペインの名門貴族で大金持ちでもありました。

ウージェニーの父は「テバ伯爵」「モンティホ伯爵」など、いくつもの称号を持つスペインの名門貴族です。
母マヌエラは、果物とワインの貿易で儲けてマラガに相当な資産を持つ、スコットランド人の父から資産を受け継いだ人でした。

ちなみに、後にスエズ運河を作ったレセップスはウージェニーの従兄にあたります。

ウージェニーは1つ上の姉マリア・フランシスカ「パカ」と共に、フランスの修道院で教育を受けました。
スペインの美貌の貴族姉妹は、若い頃からフランスでも有名だったそうです。

そして、ウージェニーが12歳のときに父モンティホ伯爵が亡くなると、姉とウージェニーがテバ伯爵家の資産や称号も受け継ぎました。

ウージェニーの母マヌエラは、パリでサロンを主宰していました。

母マヌエラはメリメ(「カルメン」の作者)、スタンダール(歴史家)とも親しかったのです。
このメリメとスタンダールは、ウージェニーら姉妹の家庭教師をしていました。
作品のインスピレーションは、この姉妹からもらったということです。
「パルムの僧院」などの名作小説は、ウージェニーなしでは生まれなかったといえます。

ウージェニーは年頃になると、幼馴染のアルバ公爵と結婚したいと思い、アルバ公爵もそのつもりだったようです。
ですが、母は姉の「パカ」とアルバ公爵を結婚させました。

ウージェニーはショックを受け、その後、ヨーロッパ中のそうそうたる貴族たちに求婚されても結婚せず、「鉄の処女」と仇名されます。

ところが、ウージェニー26歳のときに、ナポレオン3世と出会い、求婚されてしまいました。
ナポレオン3世は、皇帝となったナポレオン一世の甥です。

舞台となった時代背景

ウージェニーの結婚相手のナポレオン3世は、若い頃から一度も結婚せず、様々な愛人遍歴を重ねてきました。

そして、大金持ちのイギリス人元売春婦、ミス・ハワードの支援で大統領になります。

その後1852年に、44歳で皇帝に即位しました。
ですが、まさか元売春婦を皇后にするわけにはいきません。
ヨーロッパ王族の誰かと縁組するつもりでした。

しかし、カトリックであることや、フランス皇帝といっても政治的立場の不安定さがネックとなります。

これはと思う王族に縁談を断られていたところ、ウージェニーと出会ったのです。

ウージェニーが玉の輿にのるきっかけ

姉の結婚後、母はウージェニーに、もっと良い相手と結婚させようとしていました。

結婚相手を探すため、母とウージェニーは、フランスのパリで暮らしていました。

1848年にナポレオン3世が第二共和政の大統領になったとき、ナポレオン3世の従妹のマチルド公妃のサロンで、ナポレオン3世とウージェニーは出会います。

名うての女たらしのナポレオン3世は、ウージェニーに目をつけました。
ですが、あの手この手で迫るナポレオン3世の求愛行動をさらりと受け流すというより、ぴしゃりと拒否したそうです。

しかしナポレオン3世は自著「貧困の撲滅」を進呈し、その夢想的な内容がウージェニーの心を動かしたのでした。

1853年1月、ナポレオン3世とウージェニーは、ノートルダム寺院で結婚式を挙げました。

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マリー・アントワネットの遺品を収集

ウージェニーはマリー・アントワネットに興味を持っていました。
なので、結婚して皇后になってからは、アントワネットの遺品を集めて展示会も開きました。

そしてマリー・アントワネットが愛したベルサイユ宮殿の小トリアノン宮を再興し、マリー・アントワネットがいた頃に近い状態に復元しました。

豪華な宝石類

ルーブル美術館ではウージェニー皇后の王冠などが展示されています。

最近も、141カラットのダイヤモンドをあしらった、ウージェニー愛用のブローチがオークションに出品されました。
ルーブルが672万ユーロ(約11億円)で落札し、100年以上の時を経てフランスに戻ったそうです。

玉の輿のその後

フランスのファッション・リーダーとなる

「クリノリン」を、ウージェニーがはじめて取り入れて大流行しました。

「クリノリン」とは、スカートを膨らませるために、クジラの骨や針金をつかった骨組みの下着です。

以前は、重いペチコートを重ね着していたのですが、あの枠で軽くふわりとボリュームのあるスカートになったのです。

ウージェニーは、ファッション・リーダーとしても注目を集めていたようです。

ヨーロッパを代表する美人に

ウージェニーはヨーロッパを代表する美人でした。

そして、オーストリアのエリザベート皇后と比べられるほどになりました。

エリザベート皇后よりもウージェニーの方が9歳年上です。

どちらが美しいかというのは巷の評判だけでなく、ご本人たちも意識していたようです。

1867年8月、ナポレオン3世とウージェニー皇后がザルツブルグを訪問したとき、エリザベート皇后とウージェニー皇后が化粧室で鏡の前に立ちました。
リボンでお互いの脚の長さを測りあい、どちらの脚がヨーロッパ一か決めようとしていたそうです。

この様子をのぞき見した人が、ずっと後の60年後に孫に回想した話が「麗しの皇妃エリザベート」に載っています。

17年間フランス皇后であったウージェニ―は、第1次世界大戦後、96歳で亡くなりました。

参考文献


エピソードからわかった!玉の輿のためにすべきことと結婚生活円満のポイントとは

自分を安売りしない

玉の輿をねらうなら、ウージェニーのように、どんなに相手が高スペックでも、自分を安売りしないことが大切です。

ウージェニーは、名門貴族の出身ではあっても、フランスの皇后としてお歴々のヨーロッパ王族の仲間入りするには、ちょっと格落ちではありました。

若い美人のウージェニーが、ナポレオン3世に気安くなびいていたとすれば、ただの愛人、日陰の存在、下手をすれば一夜限りのお相手だけになってしまったかもしれません。

が、ウージェニーは敬虔なカトリック信者でもあり、かなり賢い女性でした。
あくまでもきちんと結婚したいと考えたのでしょう。

どんなにナポレオン3世がウージェニーに迫っても、絶対にベッドに入れなかったそうです。

そして、ナポレオン3世の書いた本を進呈されたきっかけで文通をしたところ、ナポレオン3世はウージェニーの知性にも惚れこんでしまい、真剣に結婚を考えるようになったのです。

好感を持たれる努力をする

まわりの人に好感を持たれる努力は大切です。

彼だけではなく、彼の周りにいる人からも好感をもたれる努力や工夫をすると、まわりともうまく付き合え、結果的に彼との仲もうまくいくでしょう。

ウージェニーは、外国訪問や多くの国民の前に出る公式行事で好感を持たれるようにしました。

ウージェニーはフランス皇后として公衆の面前にあらわれて以来、一挙一動が決まっていて大変好感を持たれたそうです。

現在では王族や大統領たちは、テレビカメラや公衆の前に出るときは、好感を持たれるようにスマイルや、手の振り方も練習するようです。

大衆や外国人に、自分がどう見られるかを意識して行動した最初の皇后が、ウージェニ―ではないでしょうか。

ウージェニーは、当時の有名な悲劇女優に特訓してもらったようです。

また外国訪問の際も、王族や貴族への気づかいとふるまいが成功し、かなりの好印象を持たれ、その後の親交にもつながりました。

彼の仕事には口出しをしない方が吉

玉の輿にのったとしても、彼の会社の経営に口を挟まない方が良いかもしれません。

ウージェニーはきちんと教育を受けた賢い女性であったため、ナポレオン3世が留守の間に摂政を任じられるなど政治に口を出すようになりました。

しかし、ウージェニーは政治に口を出してから、悲劇に見舞われます。

ウージェニーの思春期のころになじみのあった男性が、メキシコの大使となって再会しました。
彼の「メキシコ現政権を倒してヨーロッパ王族を皇帝に」という案に乗ってしまいました。

そして、ナポレオン3世をたきつけて、ハプスブルグ家のフランツ・ヨーゼフ皇帝の弟マクシミリアン大公をメキシコ皇帝に擁立します。

ですが、アメリカの介入により、フランス軍は撤退してマクシミリアン皇帝を見捨てました。
マクシミリアン皇帝はメキシコ共和国軍によって処刑されるという、最悪の結果を招いてしまいました。

また、ウージェニーが積極的に支援して始まったのが普仏戦争です。
戦争ではフランスが敗退、ナポレオン3世はプロイセンの捕虜となり、民衆の怒りが爆発してナポレオン3世の第二帝政は終わりをつげました。

このときウージェニ―はハンカチ2枚をバッグに入れただけで、パリからイギリスへ決死の逃亡をしました。

釈放されたナポレオン3世と、イギリスで亡命生活が始まりました。
ですが、数年後にナポレオン3世は亡くなります。

たったひとりの息子のナポレオン・ウージェーヌ・ルイは、ズールー戦争でイギリス軍として戦い、21歳で戦死してしまいました。

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